エッセイの最近のブログ記事

 「責任はオレがもつ」

 人口動態調査(厚生労働省)によると、13月は死亡者が多い。夏場に向かって減っていき、9月を底に再び増えていく。冬場に亡くなる人が多いのは、やはり寒さのせいだろうか。筆者の父は1月、母は2月に死んだので、データどおりということになる。ちなみに3月は自殺者が最も多い月だそうである。

 

 ことし1月、石井成樹さんが腎盂がんで亡くなった。享年72。石井成樹と言われても一般の人は知らないだろうが、電機業界の『電波新聞』記者、事務機業界の『事務機器新聞』編集長、IT業界の『BCN』取締役として健筆を揮った人だ。筆者が初めて編集長として仕えた人でもある。

 

 石井さんは温厚な人だった。初めて新聞記事の原稿なるものを書き、チェックをお願いしたときのことは今でも覚えている。

 

「ふむ...。いいんじゃない」

 

 それが石井さんの反応だった。もしかしたら、読みもせずに屑篭に捨てられるのではないか(そういう経験をしたと誰かが書いていたのを読んだ記憶があった)と恐れていただけに、それは拍子抜けするものだった。

 

 その当座は不遜にも(新米記者の原稿なんだから何か問題はあるだろう。業界新聞の原稿チェックとはこんなものなのか)と少々落胆したが、いま改めて思うと、精読して問題点を指摘するほどヒマではなかったのかもしれないし、屑篭に捨てるには原稿用紙がもったいなかったのかもしれない(当時、その新聞社の給料は遅配していた)。

 

 石井さんは1970年代から80年代にかけて注目を浴びた電卓やワープロ(専用機)に詳しく、業界では名の通った人だった。大手の週刊誌が電卓の特集を組んだとき取材を受け、実名入りでコメントが紹介されたこともある。

 

 70年代、事務機器の性能向上を背景に、工場の自動化(ファクトリー・オートメーション)は実現した、次はオフィスの機械化だという機運が高まっていた。それをうけて1979年にオフィス・オートメーション学会が設立された。そのとき、記事にする際、どう簡略化して表記するかを石井さんと話したことがある。文字数をなるべく減らしたい新聞としては「オフィス・オートメーション」はいかにも長かったからだ。

 

 筆者がラチもない略称を考えていたとき、石井さんが口にしたのが「OA」だった。なるほど、オペレーションズ・リサーチ(経営意思決定のための数学モデル)はORと略すから、オフィス・オートメーションはOAでいいわけか、センスのいい人だなと感心した。

ちなみにOA学会は20074月から日本情報経営学会(JSIM)に名称変更している。

 

 石井さんにはいろいろと教えてもらったし、助けられたこともある。今でも覚えているのは新聞の刷りなおしをしたときのことだ。

 

 筆者のいた新聞社は週刊新聞が主力だったが、月刊の雑誌と新聞も発行していた。筆者はその雑誌編集に携わる傍ら、ブランケット版6頁の月刊紙の編集を任されていたのだが、あるとき新聞の試し刷りで誤植が見つかった。今と違って活版印刷だったので、この段階での誤植は輪転機にセットした鉛版(えんばん)の文字を削りとることで対処していた。これは筆者がいたような小規模の業界新聞のみならず、朝毎読のような大新聞でも同じで、時折り一文字か二文字、記事が空白になっていたものだ。

 

 だがこのときの誤植は見出しの固有名詞だったので、鉛版を削りとれば何とか誤魔化せるものではなかった。ガツンと頭を殴られた気分だった。活字を組みなおし、紙型(原版の複製を作るための紙製の鋳型で、これを元に鉛版を作る)を取り直し、鉛版を作り直さなくてはならない。

 

 さあ、困った。月刊紙の編集長は社長が兼務していたのだが、朝の早い段階だったのでまだ出社していない。石井さんも出社していないので相談相手がいない。かといって、輪転機を止めておくことも出来ない。なぜなら、他にも多くの業界新聞が待機していたからである。

 

 新聞の活版印刷にどれくらいの経費がかかるかは、以前に社長から明細を見せられたことがあるので知っていた。紙型代、鉛版代、用紙代などを概算してみると、当時の筆者の給料を上回る額だったが、ままよ、責任追求されたら給料で返納することにしようとハラを括り、急いで刷りなおし作業に取りかかった。


 再度、試し刷りを目を凝らしてチェックし、問題がないことを確認して輪転機を回してくれるように現場の人に指示する。輪転機がゆっくりと回転を始め、速度を増していく。頭上で巨大なロール紙を巻き取りながら記事が印刷され、新聞が出来上がっていくこの瞬間を見上げているのが好きだった。

 

 もっとも刷り部数は千部ほどなので、輪転機は最高速度に達したかと思うと、すぐに速度を緩める。頭上から、折りたたまれて降りてきた新聞は自動的に裁断され、手許に積み上げられる。ほっとして、その刷り出しを5部ほど手にして輪転機のある地階から社のある5階(だったと思う)に戻ると、石井さんが出社していたので事後報告した。そのとき、彼はこう言ってくれた。

 

「わかった。責任はオレがもつ」


 嬉しかった。給料なしを免れたということもあるが、いざというとき頼りになる上司がいてくれたことが嬉しかった。


 石井さんは左党だったらしいが、筆者が入社した頃は前立腺を患っていてアルコールを控えており、一緒に呑むことはなかった。

 

 このところ、友人、知人が亡くなると、もっと会って話をしたり呑んだりしておくべきだったと、後悔することしきりである。

 「ロボットのキラーコンテンツは高齢社会対応」

 

 ロボットの出てくるテレビや映画を一度も観たことがない、という日本人はほとんどいないのではなかろうか。日本は「鉄腕アトム」や「鉄人28号」を生んだ国である。産業用ロボットでは世界をリードしているし、民生用でもホンダの「ASIMO」を筆頭に画期的なロボットを数多く生み出している、世界に冠たるロボット大国であることはご承知のとおりだ。ロボットに親近感を抱く点で日本人は世界屈指だろう。

 

 この8月にはロボット宇宙飛行士が宇宙に旅立つというので話題になっている。東京大学先端科学技術研究センター(東大先端研)やトヨタ自動車などが、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の協力のもとに開発した「KIROBO(キロボ)」というのがそれ。84日打ち上げ予定のH-ⅡBロケット4号機に搭載される宇宙ステーション補給機「こうのとり」4号機に"乗り込み"、2014年末まで国際宇宙ステーション(ISS)に滞在する予定という。

 

 KIROBOは身長34センチ、体重1kgと小型だが、話しかけられた言葉を認識し、意味や使い方を学習するようプログラムされていて、人との会話が可能。蓄積された記憶をもとに会話の内容を類推して何通りもの返事をすることも、画像認識技術を駆使して人の顔を記憶、判別することもできる。

 

 このタイプ(コミュニケーションロボット)の代表格として10年ほど前にNECが開発した「PaPeRo(パペロ)」がある。当時でもかなりのレベルに達していたから、KIROBOはさらに高いコミュニケーション能力を発揮してくれるだろう。KIROBOの製作を担当した東大先端研の高橋智隆特任准教授は「15年以内に1人が1台のロボットと暮らす生活を実現したい」と語っている。

 

 ロボットの未来について日本経済新聞で、作家の瀬名秀明さんにインタビューしたことがある。瀬名さんは東北大学大学院在学中の1995年、ミトコンドリア遺伝子の反乱を描いた小説『パラサイト・イヴ』(第2回日本ホラー小説大賞)で作家デビューし、2011年から2013年まで第16代日本SF作家クラブ会長を務めている。インタビュー当時(2005年)は経済産業省の次世代ロボットビジョン懇談会のメンバーでもあった。

 

 東京・大手町にある日本経済新聞社の上層階の一室にやってきた瀬名さんはセーターを着たリラックスした格好で、少壮の研究者といった雰囲気を漂わせていた(少壮は30歳くらいまでをさすらしいので、当時三十代後半だった瀬名さん(19681月生まれ)に使うのは不適切かもしれないが、ともかくそんな印象だった)。

 

 なるほど、この人がパラサイト・イヴの作者か...と思いながら挨拶すると「VR革命、読みました」と言われ、驚いた。拙著『VR革命』(オーム社刊)はヴァーチャルリアリティに関する本なのだが、どちらかというとマイナーな分野であり、刷り部数も限られていたので、読者に直接お目にかかる機会があるとは思っていなかった。驚くと同時に嬉しくもあったが、そうした細部にまで目を光らせていることに畏敬の念を感じた。

 

 ロボット産業について瀬名さんは「民生用は2003年くらいまで、鉄腕アトムに代表されるエンターテインメントロボットが中心だったが、高齢化社会への加速を背景に、もっと大人にちゃんと使ってもらえるロボットが必要との考え方に変わってきている」という。

 

senaa.JPG                 瀬名秀明さん(日本経済新聞2005年2月9日付から)

                  

 ただしそれには、例えばヒューマノイド総合会社のようなものが全国展開され、ユーザーは購入したロボットをその会社に持ち込んで自分用にモディファイできる。各種のモジュールを付け替えたり、個々の家庭や会社が使いやすいようにプログラミングし、修理や中古ロボットの下取りもしてくれる――といった社会インフラの整備が必要と瀬名さんは語る。ロボットの規格統一も普及には欠かせない。

 

「高齢化社会への対応は、ロボットのキラー(決め手となる)コンテンツとしては評価できると思います。また、今後不足する労働力を補う手段の一つとしても、ロボットは大いに役立ちますよ」

 

 いま介護ロボットが増えつつあるのは、高齢社会対応のキラーコンテンツとして有望であることの証であろう。厚生労働省は平成2411月、「ロボット技術の介護利用における重点分野」を策定している。それによると、以下の4分野5項目が挙げられている。

 

 ①移乗介助

 ・ロボット技術を用いて介助者のパワーアシストを行なう装着型の機器

 ・ロボット技術を用いて介助者による抱え上げ動作のパワーアシストを行なう非装着型の

  機器


 ②移動支援

 ・高齢者等の外出をサポートし、荷物等を安全に運搬できるロボット技術を用いた歩行支援

  機器

 

 ③排泄支援

 ・排泄物の処理にロボット技術を用いた設置位置の調整可能なトイレ

 

 ④認知症者の見守り

 ・介護施設において使用する、センサーや外部通信機能を備えたロボット技術を用いた機

  器のプラットフォーム

 

 ご存知の方も少なくないと思うが、これらに対応したロボットは既に世に出ている。代表的なロボットを挙げると、移乗介助の装着型ではCYBERDYNE社の「ロボットスーツHAL」、非装着型では日本ロジックマシンの「百合菜」、移動支援ではパナソニックの「ロボティックベッド」、排泄支援ではユニチャームヒューマンケアの「ヒューマニー」、見守りではテムザックの「ロボリア」がある。

 

 これらはほんの一例で、介護関連ロボットの研究開発は大学や研究機関、企業でも進んでいる。経済産業省やNEDO(独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)も支援に乗り出しているから、今後、拍車がかかることは間違いない。

 

 普及のカギは、やはり社会インフラの整備だろう。「社会インフラ」は、瀬名さんが指摘するようなロボット関連企業の充実やロボットの規格統一にとどまらない。いま、医療と介護の連携の必要性が指摘され、取り組みも始まっているが、仄聞するところによると、介護ロボットに関する医療側の不信や抵抗は相当に強いものがあるらしい。介護ロボット普及の真のカギはそこかも知れない。

 

 「創造力に恵まれた日本の地方の環境を活かそう」

 

 飛行機のパイロットが一番緊張するのは離着陸のときだそうである。安定した地面から不安定な空中に飛び出したり、空中から着地するわけだからさもありなんと思うが、取材者の場合は相手に最初の質問を投げかけるときであろうか。

 

 私の場合、飛び込みで取材することは少なく、大抵は事前にアポイントを取るので、相手がどこの誰であるかは予め分かっている。だが初めての相手に対しては大なり小なり緊張する。相手がどんな性格なのか、こちらの質問の意図や意味をきちんと理解してくれるか、どこまで本音を話してくれるか――。

 

 紀井奈栗守(きいな・くりす)さんに初めて会ったときも少なからず緊張した。日本語を話すが、本名はクリストファー・キーナというガイジンさんだから、なおさらだ。だが紀井奈さんには面食らわされた。名刺交換して訪問の意図を改めて説明し、取材を始めようとしたら、紀井奈さんはこう言ったのである。

 

「近くにいい温泉があるから、行きませんか?」

 

 紀井奈さんは株式会社鴨(かも)というコンサルティング会社の社長で、同社は長野県上山田町にあった。温泉好きの人はご存知と思うが、上山田といえば温泉の町である。訪ねた時間も午後遅かったし、取材が長引いたら最終列車で帰ればいいと思っていたから、ままよと誘いに乗った。

  

 温泉の浴場は徒歩数分のホテルの最上階(五階か六階だったと思う)にあった。風呂に入るには時間が早いせいか、利用客は我々のほかに中年の男性が一人しかいない。窓越しに雪を頂いた山が迫り、いい眺望だった。そこで世間話をしているとくつろいでしまい、仕事のことを忘れそうになって弱った。

 

 このときの取材はデータベースソフトをどう活用しているかを訊くのが目的だったのだが、温泉から戻ってみると紀井奈夫人の明子さんがビールやつまみを用意してくださっていて、またまた弱った。私は下戸の部類に入るが、決してアルコールが嫌いではないのだ。

 

 だがここは心を鬼にしてビールを一口飲んだだけで取材を再開し、短期集中型? でとにかく記事をまとめるのに必要最小限のことは訊いた。だが今から思えば、まんまと紀井奈さんの術中にはまった気がしないでもない(といって、紀井奈さんが何かを隠すために取材者を歓待することによって煙に巻くとか、そういう必要は何もなかったはずだが)。

 

 その後、紀井奈さんには別のテーマでの取材や仕事以外でも何度かお会いした。紀井奈さんは米国コネチカット州の出身で、ブラウン大学でコンピュータ科学を学んだあと、カリフォルニア州立大学バークレー校で文化人類学の理学博士を取得している。博士論文は長野県坂城町を研究した「ある地方都市の奇跡――高度成長期の工業発展」というものだ。

 

 「坂城町は人口16000人ほどなのに400社近い中小企業があった。単純計算すると40人に1人は社長なのです。なぜそういうことが可能だったのか、誰にも分からない。行政が計画をしたわけでもなければ、大企業の下請けでもない。そこで調べていくと、旺盛な起業家精神があった。偶然も作用していますが」

 

 坂城町は工業の町というイメージが強いと思うが、産業廃棄物などの汚染の心配がない。それは坂城町の中小企業の環境に対する意識の高さや行政の努力が背景にある――と紀井奈さんは指摘する。

 

 「一方で坂城町は農業も盛んで、住宅地もあり、なんといっても自然が身近でとてもバランスが取れている。私の仕事は創造力を必要とするのでこの環境から力を貰っているが、実はこのことは坂城町に限らない。日本はどこに行っても豊かな自然がある。その中で創造力を働かせながら、競争力のある製品を生み出していくのに、日本の地方ほど恵まれた環境はないのではないかと私は思うのです」

 

 紀井奈さんの会社は日米企業のビジネスの橋渡しを行なっており、日本側の企業の顧客は東京の会社が多い。こうした場合、普通は東京に会社を構えがちだが、紀井奈さんの会社は現在、坂城町にある。それは東京だと経費がかさむこともあるが、主因はバランスの取れた環境にあるという。

 

 「日本の企業は少し大きくなると会社を大都市、とくに東京に移したがるが、いかがなものか。地方にいてこそ発揮できる強みや特徴づくりを、わざわざ経費のかかる大都市に出て、その他大勢になることはないのではないでしょうか」

 

 人の多く集まるところでないと成り立たないサービス業のような業種だと大都市が必要になろうが、ものづくり全般、とくにパソコンソフトやスマホアプリの開発などは、紀井奈さんの指摘するように日本の地方はいい環境にあるといえるかもしれない。

 

 株式会社鴨 :〒389-0601 長野県埴科郡坂城町坂城6362-1 BIプラザさかき内

          tel 0268-81-1350 fax 0268-81-1351

          http://www.kamoinc.com/

 「過程を重んじることが人生を豊かにする」

 

 このブログのタイトル「生縁察智」(しょうえんざっち)の「生縁」は、「袖振り合うも多生の縁」から採った。なので、一度しか会ったことのない人でもインパクトが強ければ採り上げる。そんな一人が数学者で大道芸人でもあるピーターフランクル(Peter Frankl)さんだ。

 

 フランクルさんには2005年、東京・渋谷にある彼のオフィス「富蘭平太事務所」で会った。グローバリゼーションの名の下、日本人の持つ美しい風習が失われつつある。そのことに対する警鐘を在日外国人に鳴らしてもらう、というのが取材の目的である(20062月、『なぜニッポン人は美しい風習を捨てるのか―親日家8人からの熱きメッセージ』のタイトルで明拓出版から刊行))。

 

 会ってまず驚いたのは、その胸板の厚さである。大柄ではないが、大胸筋の盛り上がった逆三角形の胸は相当に鍛えている感じだった。だがそれは序の口で、日本に対する知識や理解の深さにさらに驚かされることになった。

 

 フランクルさんは19533月生まれ、ハンガリーの出身である。18歳のときに国際数学オリンピックで金メダル、24歳で数学博士号を取得。ユダヤ人のため、両親や家族はアウシュビッツ収容所に送られ、両親は九死に一生を得たが、両親の家族は全員ガス室で殺害された。「もし神がいるのなら、このように罪のない人々を苦しめることはないはずだと両親は無神論者になった」とフランクルさんはいう。ご両親はともに医者である。

 

 自身も差別に遭っている。たとえば7歳のとき、隣家の女の子と遊んでいて言い争いになり、言葉に窮した女の子から「臭いユダヤ人」と罵られた。「ユダヤ人と判らないよう、キリスト教の国ならどこにでもあるような〈ピーター〉という名前をつけてもらったにもかかわらずです。だからハンガリーは祖国というイメージはかなり薄い。ぼくはハンガリーを祖国と思っても、国民の多くは認めてくれない」

 

 それならばと、フランス人になりきるつもりで仏文学を勉強して亡命したフランスでも事情は同じだった。欧州がだめならと亡命したアメリカでは、欧州ほどの差別はなかった、ものの別の壁にぶつかった。そこで研究員交換制度を利用して訪日することにした。

 

 じつはフランクルさんは、1972年に訪日した両親からいい国だと聞かされ、好感を持っていた。また両親の招きでハンガリーを訪れた日本の大学教授に会い、聡明で寡黙で礼儀正しい教授に、日本に対してさらに好印象を抱いていた。

 

 はたして、19829月に訪れた日本は「地球上の天国のように映った」。差別のない公平な社会であり、国民は一億総中流といった感じで仲のよい雰囲気があり、好奇心旺盛で、聞き上手で、礼儀正しく、とても親切だった。

 

 だがそれから四半世紀を経て「日本人はマイナス思考になっている人が多い」とフランクルさんは警鐘を鳴らす。郵政民営化への賛成や、議員年金への反対の背後には「自分よりいい生活をしている人への妬みがある」と見る。タカ派政治家のナショナリズムにも危険を感じる。

 

 「愛国心や愛国主義はいい意味でのナショナリズムという言い方があるが、それは違う。ナショナリズムは国粋主義であり民族主義であって、愛国心や愛国主義を表わす英語はパトリオティズム(Patriotism)です。国粋主義は一つの物差ししか持たず、自国が全ての面で優れていると考える。一方、愛国主義は世の中を客観的に捉え、相手の国を否定することなく自国の文化や人を愛することで、それはとても美しい」

 

 フランクルさんは、大好きな黒澤明や溝口健二、大島渚といった監督の作品が映画館で上映されなくなったこと、商店街の減少による広場文化の衰退から、中選挙区制の必要性、美しい日本語の衰退まで、さまざまな面で警鐘を鳴らす。11カ国語を話せるフランクルさんに「習得するには複雑で難しいけれども、逆にそれゆえに美しい日本語が、カタカナ語にどんどん侵食されていくのはとても寂しい」と指摘されると、こっちまで寂しくなってくる。

 

 「民族としての意識は、使っている言語が母体になる。その言葉が消えたところは、民族も滅びた。その伝でいくと、いまの日本語の乱れや衰退は、民族としての日本人の存亡の危機につながるのではないか」

 

 こうした警鐘の詳細は先に紹介した『なぜニッポン人は美しい風習を捨てるのか』を読んでいただきたいが、最後にもう一つだけ紹介しておきたい。それは、日本人の生き方や国の舵取りに関する話である。アメリカとの比較で、フランクルさんはこう語る。

 

 「アメリカは結果重視の社会で、どんな手段を講じてもいいから、とにかく勝つべきと考える。だから、広島と長崎に原爆を投下したことにアメリカ人は罪の意識を持っていない。それによって戦争が早く終わったのだから、意味のあることをしたと思っている」

 

 「一方、日本は本来、過程を重んじる文化で、それをわかりやすく説明してくれるのが茶の湯だ。結果だけを見ると茶の湯は、わずかな量の抹茶を飲んで、小さな和菓子を食べるだけだが、茶室に入り、正座して瞑想状態になり、空間と一体感を感じながらお茶を一服いただく。ぼくはこうした作法に贅沢を感じるし、時間の流れを感じて、本当に素晴らしいと思う」

 

 「人生を考えれば、結果は皆同じ。皆、死ぬのです。そして火葬場に行く。だからといって、早く火葬場に着いた人が勝ちでもないし、皆死ぬからといって、それで人生に意味がないわけでもない。人生の意味はまさに生きる過程にある。だから、過程を重んじることが人生を豊かにすると思うのです」

 

 日本が大好きなフランクルさんは、これからも日本で暮らしたいと思っている。だが国粋主義がもっと強まって、かつて小泉八雲が大学を追い出されたように外国人排斥運動が起きるような事態にでもなったら、「仕方なく日本を出て世界放浪を再開するかもしれない」という。

 

 経済活動で諸外国とこれだけ絡み合っているいま、そのようなことは起こりようがないと私は思うが、フランクルさんの警鐘には大いに耳を傾けたい。

 

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                              フランクルさんの警鐘を所収した書籍   

 

 明拓出版の連絡先:電話/FAX 0742-48-1898

              メール meitaku@yellow.plala.or.jp                   






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