焦燥感

M.宮城
0
震災から2カ月半近く。
「何かしたい。何かしなければ。自分に何が出来るだろう?」
という強い想いにかられながらも時間ばかりが無残に過ぎていく。
焦りだけが常にあります。実際まだな~んにもやれていない故です。

生れも育ちも宮城県です。
実家はきっちり沿岸地域、親兄弟が居ります。
近隣のすさまじい被害状況の中、幸いにも築30年の家と家族は無事でした。
旧友2名も無事。ですが彼ら2家族は避難所暮らしです。
震災当時、実家および友人らの無事を把握するのに4日から8日かかりました。
それでも無事でいてくれた事に深く感謝し、思わず涙しました。

帰りたい、でもその後まだ帰れないままです。
6割は仕事の都合のせい。残り4割は、この3、4年で大幅減になった収入も一つの障壁です。
何をするにも思うにまかせない日々が続いていたところへの震災でした。
やっと家族とも連絡が取れほっとしたところへ、畳みかけるように今度は震災とは無関係になつかしい叔母の訃報が届きました。
加えて3月中、決算期に業務がとどこおったことによる決済の遅れが多数・・・。
"泣きっ面に蜂"、"弱り目にたたり目"、という言葉は、はまさにこんな時にジャストフィットな感じです。
(自分への言い訳なのか、単に愚痴りたいだけなのか??笑)

一方周辺では、嘗てメジャー媒体で活躍していたベテランの書き手達が、次々と第一線を退き...、という話が昨年暮れ頃より聞こえてきていました。"書く場"であった古くからの媒体そのものが急激に衰退、もしくは完全撃沈の憂き目をみたためです。

「何かせねば・・・」
つまり、つのる焦りは以前からでした。

同じ頃、恐らくそれを見聞きした多くのライターや出版関係者が、一様に痛み・哀しみを覚えたであろうニュースが気になっていました。
手持ちの本をiPadやBookリーダーに読み込むために裁断・分解する人、そしてその為のサービスの登場です。
もちろんそんな事は持ち主の自由であり、哀しいと想おうが何であろうが、それすなわち時流。
仕方ない事ではありますが、なぜか今一割り切れないこの気持ち。
装丁ひとつとっても、多くの人の手と見えない苦労がそこにあった事を知っているからです。

「何かできることはないものか?」
やっぱり焦っていました。

そんなこんなの前後に、長年の友人と久々に飲みました。
一緒にミニコミを作っていた頃の、もう15年来の友です。
そして思いついたのが、そのミニコミの復活案、つまりこのサイトです。

基本ボランティアであり、何がどんだけどうなるか、役に立つものかどうなのかも皆目わかりません。
しかし、それなりに構想と夢はあります。
幸いにも賛同・お手伝いくださるというWeb開発技術者やデザイナーの方も。
故に、取り敢えず書くことは出来る人達はまず書きましょう!
というわけ。

ご協力くださった皆さん ありがとう!

本職ライターに限らず、書ける方、書きたい方大歓迎です。
このブログサイトを起点にあれこれ立ち上げていきます。ぜひご参加ください。

頑張ろう日本!!
人生いろいろ!笑って乗り越えよう日本!!


コメントする

2012年6月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

このブログ記事について

このページは、M.宮城2011年5月20日 10:24に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「はじめまして」です。

次のブログ記事は「"時の記念日"に迎えた復興日本第一世代」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。